相変わらずおでこの吹き出物がおさまらない。

前髪のせいであるのは明らかなのは確かで


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早いもので己に残された25歳という年齢があと1ヶ月だけある。数字だけみたら己の意識としては26と25では重さが大分違って見えるがや…歳をとりたいけど中身が追い付かない。どやしよう


そろそろMacが私には必要かもしれない、とこの頃感じていて欲しくなってきた頃に友人が破壊の安さで譲ってくれることになった。しかもデスクトップ!トップ!その前にインターネット見れるように何かしらやらなきゃいけない…あぁ苦手だ。



友人の恋話を聞いたり、愛の住まいにお邪魔したり、恋人にお会いしたり、カップルが通り過ぎたり、そういうことが己の身近にあるだけでキュンとする。と、同時に恋愛に関しては己はなんて何も起こらない日常を送っているのだろうとも思う、思考がもはや低レベルである


と云いつつ、私は恋愛をしないことで自分が成り立っている。恋愛ができないエネルギーこそが自分の活力源であり希望なのだろう、ループから抜け出せない。愛は足りない



ブログでなら何の反応も気にせずして楽だなぁ~、いまの時代個人的にはインスタグラムよりTwitterよりブログだがね


あんまり着ない洋服3着を吉祥寺のお店で売りたいつもりなのだが、それだけのために交通費をかけるのも勿体がないので何か予定事が起きればいい

結局、なんとかドール展は行かなかったがや




久しぶりに任天堂64でマリパをやったならばやはり面白かった。出前も久しぶりにとったならば快気祝いとして全部 ご馳走してくれた。やっぱり私たちはもう25歳を生きてるのだと実感した



以上

22年目の告白

昨日は病院の検診だったためにせっかくのレディースデーということもあり帰り道に映画館があるので観てきた

ためありあるので観てきた観てきた


久しぶりに満足度がある作品だったので最近観た良かった映画は何かと聞かれたら「私が殺人犯です」と答えようと思おう
本編が始まる前の予告上映を観るのも好きなのだが、韓国作品の『新感染』がだいぶ気になったのだった。サスペンスとか狂気系は韓国がすごいらしい。『新感染』は1人で観に行くつもりはない。




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元バイト先 兼 友人 兼 依頼主 と色々な関係の狭間にいる劇団「新聞家」の村社さんが演劇情報誌『シアターガイド』で半年間誌面で登場するみたいです。躍進してはるな
上にあげたイラストが村社さんのアーティスト写真になるみたいです。塩顔イケメンって自分の顔写真出したがらないのは私の中では有名な話だがや


発売が7月1日です。










今年の夏こそ好きな男性と花火とか見てみたい!


以上

インスタグラム

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前に交際してたかもしれない人の今の彼女らしき人のインスタグラムが検索欄にずっと表示されていたが見ないようにしていた。今の彼女は私が前の彼女かもしれないとは知らずして私のことをフォローしてくれたわけであるが、彼女がその男性と とうとう確信を知ったしまったがために もう彼女が上げた写真をみる度に胸が不穏な感情で苛まれるのであった

馬鹿なことに好奇心で表示されていた彼女のインスタグラムを久しぶりに見てしまった。

胸が一気に不穏に苛まれてしまったがや…その何も知らない彼女が私よりも幸せにその男性と愛を育んでいるのなら それはそれで良いことだと思っているが、その男性が暢気にその何も知らない彼女と何も無かったことのように愛を育んでいるのかと思うと正直 悔しいのである。どうやって二人が知り合ったんだろうという疑問しか浮かばない

只の妬みだ、あぁ~嫌だ嫌だ

彼には直ぐに好きな女性が出来て、私には何で出来ないんだろう。

ただ、それだけである。本当は良いようにこの気持ちと卒業したいのに思い出したくもない記憶に変わりつつあることが少し哀しいな


誰かにとっての 好きな想いや写真が 誰かにとってはそうではないなんて悲しいな、もう見ないように非表示にさせてもらった






先日、友人の最愛の人に会った。尊敬する彼女が尊敬できると云っていた通りの人だった。感慨深かったし、嬉しいし、哀しいし、すごいし、安心したのが色々雑ざったのでありますが

学生の頃によく帰り道でお互いに彼氏が出来ることが無いんじゃないかという不安を語り合ったり妄想を繰り広げながら興奮して帰ったり そういう思い出が私をそうさせたわけであるが


私は何も変わらないなぁと帰り道少ししょんぼりしてしまった。彼氏が出来ないとかそういうことが肝心ではなくて1人の女性としてである。と同時に彼女からふいに思ってもみなかった連絡がきたから嬉しかった





以上

嫌われる

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久しぶりの雨で嬉しい。雨が嬉しいのは気分が晴れないのと似かよるから

25歳まで生きてきて アートを感じるよりも美術館に行くこと、何を感じに行くかよりその作品を観る己と映画館に行くこと、内容よりも人に会うという行為、めんどくさいよりもったいない。

そういう雰囲気が己の中の娯楽だったがや


現代の結婚離れの原因として1つあるのが、娯楽という欲求が満たされないがために あるいは打ち消されるのを恐れて 離婚したり独身でありたかったりするらしい。自分で稼いだお金は自分のために使いたい。自分で稼いだお金は自分の好きな中に投資したい。愛は続かない




人は変わるがね、25歳までは誰と行くかより何処に行くかのほうが己にとっては比重が大きかったようだが今じゃ何処に行ってもいいけど誰と過ごすかのほうが気になる気がする。気がするだけだけど


以上

モンキースパナ

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年々、体型が下へと下がっているやうな感覚がある。

中学のある時期まで比較的に脚が長かったのだが、徐々に私に気づかれないように胴がバランスの一部を悪くさせていったように思う

それは女性への体型へと体がシフトすることを意味していたのだけど、この文を綴りながらも どちらが私の本来の体型なんだろうと疑問が新しく湧いてきたがや


最近では ふと 自らの体型をガラス窓とかで目にしたときに [もはや未婚の25歳の女性の体型どころか、子供がいて旦那以外に色目を使う必要を感じていない服装をした女性]にしか見えなくなってきたがや 顔は年相応なのに服装はカジュアルな服を纏った50歳位の女性



あぁ、だって楽で朗らかな気持ちでいられるんだもん。リネンとか麻とか、涼しいし楽だし気持ちが良いんだもの、と

高いお金を出して一瞬のモノを買うよりも、自分がどんな気持ちの時でも着ていられるような安心安全を買うてしまう。今は今しかないのに
このままでは膝を出せる服も着ないことだろう





以上

アラサー

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おでこの吹き出物の治りが遅いので、とうとう塗り薬を購うてみた。なかなか効能が良いみたいだ。


最近の日曜日の楽しみといえばドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」を観ることだがや

物心ついたときから自分以外の人間は感情を自分ほどは持っていない只の他人で只の人間。ではなく、生きてる人間1人1人に感覚があって、自分が持つような「私だけ」の哀しみだとか幸福があるだなんて不思議だ と思おていたやうな気がする。通行人Aなんて実はいないんだ!みたいな感じ
説明が難しい


恋愛だったのかは分からないけども、いままでまだ経験してこなかった1つのお別れの形を経て どうやら自分は変わりつつある

ず~っと前に、確か去年の暮れか一昨年の暮れあたりに自分の顔が変わりつつあるやうな感覚を感じると綴ったのだが そんな感じなんだ。

まるでトルネード状に紫色のようなグラデーションで色が変化しているものが何かの完成に向かって陶芸のやうに回転しながら下から上に向かってぐるぐるとその動きを繰り返しているのだ

私の内側の何かが変わろうとしているけれど、嫌じゃないなこの感じ。


漫画の「アラサーちゃん」のあるフレーズで「モテたい、じゃなくてそれさ綺麗になりたい、でしょ?」みたいなのがあるのだが
そうだ、私は綺麗になりたかったんだ

と思いました。


以上






紫陽花

早いものでもう6月だ

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大して綴るような出来事も特に無いが、リハビリしながら生活している。
リハビリといっても人に会って話すことでしかないが、自分のいまの話し方がこのままでもいいかもしれないと思う 尖った言い方したってこの話し方のおかげで優しくお届けできてるような気がするから


男女問わずして初めての人と会って自分から関わろと努める気持ち、というのを久しくしていなかったということに気がついたのだった

もちろん職場だったりショッピングをしていたら知らない人と関わるわけであるが、あくまで他人のまま 相手と出会い別れるのであった。自分の中では出逢いのうちにも入れない出会いだったのであった

目の前にいる人と向き合う努力を日々していないのかもしれない。



だから、自分がいま目の前の人に関わろうとした瞬間に「この少~しだけ気まずいけど、相手のことを知ろうとすれば比較的そうでもない場」という瞬間が久しぶりであった
そういえば他人から他人でない名がつく関係性になる始まり方ってこんな感じだったなって。いつの間にか仲良くなった貴女とか、いつの間に信頼できる貴方とか、私たちいつから 私たち になったんでしたっけと忘れがちなきっかけの瞬間って大人になるにつれて そう実感する機会なんて無いんじゃないのかとさえ綴りながら思おてきた。違ってても別にいいけれど



ディズニーランド行きたくなってきた…



以上