喜びと悲しみが同時にやってきた場合

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喜びが悲しみを支え、共存し、喜びも悲しみもないものに変わって、日常と戻してくれる。

 

 

 

 

 

メールとかラインとかSNSとかやりとりで受け取ってもらいたい気持ちを伝えるのは非常に難しい。特に日頃、表情やしぐさで愛嬌を勝ち取っている人が文章だけで勝負をかけるのは思っている以上に全然愛嬌がないと思おう。となると、とくにネガティブな内容に関しては直接伝える以外は避けた方が最もいざこざを無難に回避できるわけでして

 

となると、目の前に起きた喜びや抑えきれない嬉しさやポジティヴな興奮は真っ先に通信機器を使うってのはアリよりのアリだと思おう。そういうことをたった26年間の積み重ねで通信機器を介してのコミュニケーションとして自分なりに解釈しているのですが、どうしたって自分の内側に近い距離にいる人ほど感情をぶつけずにはいられないけど許されるのは血の繋がった人だけなのであろう

 

もしくは血の繋がっていない愛さずにはいられない対象 それすなわち恋人とかを思い浮かべる人が多いのだろう 

 

 

 

インスタグラムでフォローしてくれた人がストーリーズに面白い投稿をしておった。

私が以前作ったステッカーが、どこの誰かか分からないであろう人がどこの何の場所か分からない壁に貼ってありまして、それをフォローしてくれた人が発見して私のインスタグラムまでたどり着いてくれるという追跡をアッピングしてくれたものだったのであります。

 

ステッカーには「made in SUGASATIKO」とイラストだけが記されているだけなので、検索するという障害を飛び越えて私を見つけ出してくれたということです。

 

ずっと前にZINEのワークショップで云っていた気がするのですが、興味がなければそこで終わるし興味があれば向こうから探し出してくれる という明言が自分の活動をする上で一つの指針になっているわけでありますが  例え読みにくいフリーペーパーでも好きな作者のだったら理解したいと思って読む と云っていたような気がします。だから好きな作品を作っていいのです と私は感じました。

 

 

ブログで熱いことを綴る気は毛頭ありませんが気づいたらこんな方向性に話題が進んだがや

 

 

 

やりたいことは忘れないようにしながら関係ないことをやってた方が関係あることに一番近づけたりすることもあるんやないやろか

 

 

 

 

 

以上