昨日はとてもその分野っぽい1日を過ごした。
コンペで出した作品の搬出を同志と共に行く、そのまま何件かの展示を見に向かう。場面での行動。久しぶりに「場面」って単語使ったな
解散したのちの帰り際、巷で話題の&気になってた蛭子能収さんの復刻版を購入するのだった。おこがましいが、己の絵が「蛭子さんっぽい」と云われた経験が何度かありまして
たまに自分はそういうつもりでもないのに意外なところで他人が見つけてくれるものがあるのだが、蛭子さんに似ている説もその一種だがや
絵柄は知っていたけれど知っているだけで知ろうとは全然してこなかった。が、知りたくなった。知ってよかった。
大学生時代のある時から。己の中で男とか女とか超越した分からないポジションになりたい(=面白いから)と思おていたのだった
それは複雑チックに捉えられがちな、男になりたいとか、女が好きだとかそういうことではなくて自分の性を受け入れるのが恥ずかしいという理由が大きくあり、逃げたかっただけだがな(自分に酔っているともいえる)
いつしか恋人ができたことがないという焦りにより、女であることを認め始めたが一般的な女性にすれば容易い御用である
そして恋人ができても結局は一人で頑張る気がない人は何も変わらないという結果に至った。他人に幸せにしてもらうという押し付けは幻だったがや まぁそのおかげでワンアップしたけれど
いつしかそれを線で表現していたらしい
とても無意識なことであるがや
そしてその気づきをくれたのも、その境遇にいたおかげであった
デートがしたいのも結婚がしたいのも好きな男性に好かれたいのも
モテたいのも売れたいのも本当は何がしたのか分からないからや!!
アバウトな願望はアバウトな結果しか招かないでしかし
以上
以上