あんなに思い出があったのに、いざ別れの時がやってきたならば
伝えたいことはなかった。
手紙にしたためたことを口頭にするのは少し違うと思おう
会おうと思おえばいつでも会える場所で生きているけれど、多分これでもう会わないのだろうと感じている。それでよしとも思おている。だって偶然だったからこんなに想いが充実してるやうな気がするのです。
これで最後だと思おたら何を話せばいいかもわからなくなって少し避けてもしもうたから自分っていつまでたっても幼稚でかまってちゃんな冷たい人間なのだと
よくわからなかったせいで涙が込み上げてきたが、これは言葉の代わりにでたものだったのか、その場しのぎの動情(こんな言葉ないけれどこれが正しいのでこの言葉をあえて使うの巻)なのか 相手はどう思おたでしょうか
でも私は悲しかったのだ
そして嬉しかった
出会いもあれば別れもあるという有名な言葉がありますが、本当その通りです。
でも慣れてくとそんなこと忘れちゃうんですよね、
この頃の自分って、もしかして自分から全ての人間関係を経っているのかなとも思おているわけです。そんなことばかりじゃないことであってほしいですが、今日の朝の情報番組でコメンテーターが云うてたやうに「孤独ほど人を成長させるものはない」なんてことを一度でも味わうと自ら独りである人生を導いてくことに気づかずに、自分の本当の願いが独りでない人生だと思い込んでるだけであって行動は全く伴わない人格へと突き進むんやろか
感謝と挨拶は音で直接届けるべきものだというのに文字に頼ってしまうこの人格をどうにかしたい。情けがない
※(半分フィクションで一部はドキュメンタリー)
以上