昨日から何かがはちきれたように人と話したい気持ちがむくむくと出て来たのだった
日々、誰かしら職場や近くに住む祖母とは話しているけれど それは限られた話しであって自分の志を会話できる人であったり内側の気持ちを話すことが最近なかったからであろう
しかしながらそれは話さないと思おて話していなかったわけでなしに、無意識にこの話はこの人ならわかってくれるという勝手な仕分けなのだけど
己は自己中心的である
Aを前提にして私たちが出会ったとしてそこから友人となったことを忘れてしまって、そういやどうやって初々しい距離感を打破して私たちだけの距離を育んだっけな、なんて思い出しておった
初めてみんなの輪から抜け出してお互いを1対1でちゃんと出逢ったのかと問われれば、やはり最初は不安で怖いことなのだった。仲良くなるのに正しさなんてありゃしまへんけども己だけがソウルを感じていたとしてもサクセスしないと二度目はないわけでして 大人になるにつれて純粋で友達になっていくことなんて少なくなってくるんやろか
ドラマ『漂流教室』で窪塚洋介氏が常盤貴子が働く花屋さんに正月に訪れたのに常盤貴子が言葉を発しないから「なんで無視するの」みたいな発言をしたところ「新年最初に話した人って、その1年間ご縁が深くなる」と常盤貴子が云った
確か、違ってたらすみません
そういや高校も大学も初めて話した子だったり、関わった子達がだいたいずっと関係が深くなって卒業してからも友人であるのだった
私にはだいたいご縁がありそうだなと思おてる人がわかるといいますか、願望なのかわからないけれど、つまりは自主的に仲良くなりたいから自ら距離を縮めにいくわけだけど魂的にはきっと同じ波長であろう人が無意識にわかるのだろう、か?
でも皆それぞれ違う人生を歩んでおるから、ちょっとずつ違う波長になったり離れたりするんやろね
それはどっちが魂が磨かれたとか、比べることやないけど
冒頭に戻るが、思おうタイミングで久しぶりに友人二人と会ったのだった。
久しぶりにプライベートという休日。
先日、個展まではイラストの展示は基本的に観にいかないと述べたがさっそく誘ってもらったので観に行ったがな そういう話をできるっていうのもいいものである
去年までは似て異なる地点を共に目指す界隈でつるむのを避けていたため限られた仲間で共有したいと思おていたのだった。仲良しごっこと仲良しは全然違う
今一度、自分が何のために今の行動を選択したのか気づけてよかったな〜
以上