期待するだけ損な話

 

 

目の前にあるブルボンのプチシリーズしっとりチョコクッキーが食べられたそうに見つめてくる。

これは食べたいから食べたそうに見られていると思い込んでいる話である。

例えば、よく目が合うということ

あの人がちらとちらと見てくるということ

神に見守られている気がするということ

 

全てを見渡せるから、その全てから見られている気がする

 

角田光代さんの新刊(エッセイ)でおもろいことが綴られていたので備忘録。

 

 

 

 

今年の後半戦、運について考えていてそろそろどうすればいいか分かりかけていたところに昨日 タレントのMattがテレビで運の話をしていたのだった。Mattは父からの教育として運のコントロールの仕方について学んだらしい。人が見ていないところでいいことをして運を貯金するということ(話を簡略してるので悪しからず)

そうか。Mattは知っている。

 

 

ブログでスピリチュアルなこと綴っていると思ったらお門違いです。

 

まだ文章にしたり説明するのには時間がかかりそうなので、機会があれば人に話して練習していつかまた話題に出す所存であります。

 

 

 

ところで、この頃己が28歳に思えなくてもう色気がない食い気ばかりの性別不詳の中年に見られているような被害妄想をしているがや

電車に映る己の顔を見て落ち込む。落ち込むのに見てしまうのである。

隣の人との顔の大きさを比べたり、最近では肌のシワ加減まで比較している。

とうとう去年あたりから鏡をみるとき目を細めて自分を見ていることに気がついてしまった。

そうです、自分の姿を直視できなくなってきたらしい。

 いつからこんな自分になってしまったのか思い出せない、オシャレをしたい意欲はあるのに女になりたい努力は減退するばかり

 

女性として見られて生きたいという怒りと行動が矛盾しているのである

あぁ嫌んなっちゃう

 

 

アッハッハッハ

 

 

以上