こりゃ美味しかった。多分に1人で20個は食べれると思います。
ラーメンもスープを飲みほしてしまいたくなるほど生活に馴染んだお味で好きでした。ありがとうございます。
久しぶりに雑誌「ワンダーフォーゲル」を読んでみた。山登るきないのに山登りたい…同じ山を何回も1人で登りたいそして2人以上で色々な山に連れてってほしい。テント泊したいな~
過去に引っ張られることを愚かだなんて思わないことも大切にしたいです
以上
たった3年前に居た場所なのに なんだか今いる私と全然違うような気がする
どちらが良いだなんてファジーな考えだがや
去年あたりから目新しいシャンプーがないのかなと、いい出会いとタイミングを見計らっていた。そしたらば、友人と遊んだときに二人がプロダクトというヘアワックス的なオールマイティーワックス的な巷でさざ波のように良いと評判らしいワックスを使っていることを知ったならば、たまたまコスメキッチンでシャンプーがあることを知った。
全店舗に在庫がなかったらしく、入荷待ちの予約をしたわけであるが そろそろ手持ちのシャンプーが無くなる手前で入荷の連絡がきたのである。確か、昨年の10月から入荷待ちと云っていたような
そんな入荷待ちのモノをシャンプーが無くなる手前で出会ってしまったことにタイミングってあるものだなと久しぶりにタイ・ミングさんに再会した気分となりました。
こういうの簡単に手放したくないのは執着なんでしょうか。
以上
こういう服装がしたい。
したい服装と着ている服装が同じカテゴリーながらも違っているため自分では意外性がないと思おていたがそうでもないらしい。
がるちゃん に「男はなぜ美人でない女に対して分かりやすい態度をするのか」みたいな内容があった。
私を中途半端なブスであると認識している。
いじりにくいブスとでもいえますね…
中途半端に服装にこだわりを見せていて少しだけの社交性とプライドの高さがみえてるが故にブスと罵りずらいのであろう。
幸いなことに社会人になってから正面きって「ブス」と云われていないせいかブスだと自覚せざるを得ない場面がない。
しかしながら、言い寄られたりだとか好いた異性に好かれたりだとかはないであるから美人ではないことは重々承知である。
と云いつつ本当のところは仕草や行動や言葉が女性としての自覚に欠けていることが一番の問題なのであろうが
でもって凛とした女性に憧れるが「凛」とする意味を履き違えているため男勝りな見た目や言動になってしまったがや
出来るだけ見直していきたいです
以上
夢の中で、逢ったこともない彼と抱きしめ合っていた。
ハグのような優しい抱きつきではなく恋しかった何かを埋めていくような抱きしめ合いであった。
小さかった頃に親に抱きついて満たされていくような、甘えたくて甘えて抱きしめて返してくれたような、それを大人になって出来なくなったいま 彼に求めていくような。
味わったことのない感触を体感したとき、それに触れることは無くなっても肌で覚えてるんだなって思おた
今日は夜にラーメンを食べようと思って比較的に近くに住んでる友人に連絡しようと浮かんだがやめた。私がそう思ったように、その友人も一緒に居たいと思った誰かと居てるかもしれないし、断られるつもりもないので諦めたのだった。
こやした選択の連続がおひとりさまへと導くのだろう。
ラーメンをたらふく食べた。
以上
ビールを呑んだ。
しかしながら、今年初めてのアルコールは夕張メロンサワーである。
つくづく異性がいる飲みの場で感じるのは自分が面白い質問だと思おて発言すると、その場を一瞬沈静化させてしまうということ。しかも同性しか笑ってくれないように感じてしまう
私もウケるような一言を云いたい。面白いって思われたい。と、思う質なのである。
男にとってそれは余計なんだろうなぁって25歳になってようやく学べた気がしました。
実際、自分が思ってる以上に発した言葉が面白くない
今まで私は何を張り合っていたんだろう。
恥ずかしい話だが、最近までは同世代の一般的な男の話より自分の話のほうが面白いと本当に信じ込んでいた。もちろん恋愛対象による判断材料としての「話」であり、その人自身をつまらないとは思っていない。
でもこの1年なんとなく今まで恋人が出来なかった要因が自分にしかないと悲しいかな、ようやっと理解してきた
1人でも多くの男性に自分を女性として好いてもらいたいと欲求は持ち続けたい。けど中身でしか勝負する気のない私は間違っているのかな…なんてもう分からないのだ もはや中身が味気が無いのだろう。とほほ
みんな早く結婚して幸せな姿を私に見せて欲しい。
それですっかり自分のことに関しては諦めをつけて、1人で生きる覚悟をする
なんてことは単純にはならないんだろうな
以上
交際経験を経た後の感情的成長の変化を体感した。
恋人と男友達のラインが曖昧だったが、身をもって あぁ男友達がいるんだ私には。と違いに気づけたし、友達と思えた男に出逢えて嬉しく思っている。
別れた淋しさを別の男が埋めてくれるとは噂には聞いたが 只の男では埋まらないものだなと
友達の男と話すのは、友達の女と話すのとはまた違った笑いの場となるものだが見せる姿は同等であるのだと
友達の男と歩いてて気づけた。隣にいる距離感が全然違います。それと触れたいがありません。ときめきメモリアルじゃありません。
ようやく私は友達の男たちを友達として受け入れられたのだと思おた
女子校女子大育ちで、出会った男は全て異性として出迎えていた自分が、モテたいのにモテたこともないしモテてないのが気に入ってる自分がようやく手に入れた真の友達の男たち。ありがとう。ようやく友達として出迎えました。1UPしました。
これで合ってるか分からないけどね
以上
1つ1つ身体についた偽物不安の実をちぎって、そしたら 人からの誘いや1人の淋しさとか友人との会話が
なるべくなら私を好きになってくれた人に頼りたい
だが、ラインのアイコンをお尻出したクレヨンしんちゃんにしてる時点で女性としては見られません。
以上