春の

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もう悲しみは静まったがや。時間のムダである。

それよりも花見の人が多くて毎日100人以上の人と接する。忙しくて悲しみより疲れるのであった

こうして疲れることは暇疲れより大分楽である。
考え事をする暇もないのであった


ラジオではスピッツの曲とかが流れてきて気分がよい。今年はお花見をしないで春が終わるかも~

以上

悲しいとき

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毎年にエイプリルフールには誰かしらに1度は嘘をついていた。今年のエイプリルフールは誰かしらにも嘘をつかなかった。

もはや面白い嘘を云いたい自分を忘れた。

元気になった。けれど。気持ちの元気は取り戻したかというと分からん

人に会えば楽しいし、人に会えば疲れるし、特定の気持ちを埋めてくれる何かが埋まっていないのである。もはやまたその穴をまた掘り返そうとしている。


2か月前にまた独り身になってしまったが、面白いことにそれから遊びの誘いや食事の予定が色々と舞い込んだりした。メンタルも身体も疲労困憊の時に比べたら大分楽になった。

云ってることは矛盾している



身体は正直よの。


大事なことはブログに綴らずにはいるが、似たような気持ちは綴っている。今日綴ったことも来週にはどうでもよくなっていたりする。

何度も云うようだけど、くるりの歌には人生で思いもよらないことが何度も起きるんだ というような歌詞が度々あって私はそういう歌を聴く度に少ない経験に思いを巡らせながら感動するのだった。


くるりのライブにこないだ久しぶりに行ったんです。くるりを初めて知った曲を久しぶりに聴いたんです。とっても悲しくなってしまった優しい曲だったから

私はいまとても悲しい








いま気がついてしまった。いま気がついてしまった。私は楽しいことは綴りたくなく、悲しいことを綴ることのほうが多い。いやんなっちゃうな~

くるぐる

生きていて絵本を買ったのは2回目である。



小さい頃から絵本を読んだ記憶が無いに等しい。

読み聞かせをされたことがないのだと思おう

一昨日から目まぐるしい。
作業とかそういう環境に左右される目まぐるしいではない 普通に立ってるときや、座ってる今でさえ頭がくるくるしてる感じがするのである

立ちくらみの視界がちゃんとしてるバージョンとでもいえましょうか。



生きていて油そばを食べたのは3回である。
油そばは美味しいが、お腹が空いたときはお腹いっぱいに食べたいのでスープがあるほうを選びがちだが 油そばはラーメン界におけるフェイントだと思えてきたがや



本日はまだ数えられるような経験ができたそんな日でした。


以上






あと 早く家に帰りたいなぁ と思えてようやく住みかと握手した気持ちになりました。

どうでもよい

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早く4月になって通りすぎてほしい。

4月は苦手である、3月も比較的苦手であり、5月もまぁまぁ苦手である。

楽しいだとかそうでないことは全て自分の基準であるがよく分からないがや


丸まって護身をしていたいけどそうもいくまい。

春ってやっぱり苦手~



以上

グレードアップ

毎日描くことが大切だと、セツに通っていた時に来た卒業生が言葉をのこしていった。

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不思議なことに、可笑しなことに、描いていると1枚目に描いた絵のほうがよかったりする。けど、明日には昨日描いた絵より今日描いた絵のほうがうまく描けているんです

昨日まで浮かばなかった発想が浮かんだり、手や首の曲線はある時にいきなり定型文のように感覚が掴めてたりする感じがあるが、私は描き始めたときから苦手であるし



楳図かずおさん や ほしよりこさん は作品のテイストは違えど髪や輪郭や腕や脚の線が何度も見たくなってしまう程に馴染んでいて美しい羨ましい。
あとそこにある文も美しい。


美しい羨ましいと思おう時点で程遠い存在に居てはるのだといましめますが、目指したいものがあるって希望だと思えて気に入っているがや


分からないや知らないことがあるのは多分最強。