みんなすぎょいなぁ、みんなって誰だろう
みんながみんなすぎょいわけではなくて、勝手に己の中ですごい人だけを見つめて、「すぎょいな」と呟いているのであった。果たしてみんなすぎょいのだろうか
すぎょい人だけを見つめているばかりですぎょいまでの過程を見過ごしているんやないやろか。本当にすぎょいのは、すぎょいになるために奮闘している全然すぎょくなっていない側で光ろうとしている人なんやろか
よく分からなくなってきた
すぎょいに釣られてしまう己はまだまだだ。
もっと自分の成功を模索するしかなしに
ある人からみたらとてつもなくすぎょい人でも、とある人からすればその横にいる人の方がすぎょい存在というのもあるから人生何が成功なのかわからないのだった
果たして自分はすぎょくなりたいのか
分からない。恋愛がしたい
人生で得られない経験がこの先あるとするならば、恋愛だけはしてみたい
そして家族が欲しい、子を産み子孫を残すという役割が自分にはある。権利がある。
権利があるのなら活用したいに決まっている。
幸運なことに己にとっての最たる見本が両親である。
両親ができるのなら、その子、己にだって築くことができるはずだ
今年もあと数ヶ月だが果たして将来の恋人はいつになったら現れるんやろか
分からない
とりま30日に登山するのだがどうか泥濘が激しくありませんように。
以上