今日も今日とて

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ガラケーに変えてから、めっきりラインの通知がなくなってしまった。


「菅って、アメリカに一人で旅行しに行った時に見つけたマクドナルドのような存在だよな」

と、唐突に職場の一つ上の男から云われたのだった。
分からないようで分かるようで。


今夜は勤務帰りに寄り道して気になる人の展示を観に行くと、芳名帳の最後に知人の名前が記載してあり まさかとは思ったが会場でじっくり鑑賞していたがや。己のスイッチが入っていない時、どうにも声をかけずにやり過ごせないかモードになってしまい挨拶しなかった。しかしながら、帰り際に相手方が芳名帳を見たらしく私の名前をみて再び会場に戻り「菅さん?」と声をかけてくれたがな 

惜しい、「カンさん?」と云っていたが訂正するのも申し訳なかったので私はその知人といる時だけはこれからは「カン幸子」として生きようと決める。



写真の腕にあるアザは先週のバレーで出来た内出血 
証は目に見えるものだ






昨日は午前中に初めての医療費控除の確定申告に行く、噂通り混んでおり終わって時計を確認したならば2時間経っていたがや。駅近くにある地元の蕎麦屋に入り美味しい天丼セットを久しぶり食らう、見た目も味も心底満足して幸福になった。帰り際どうしても「美味しかったです」と伝えたかったので伝える。
云っている自分が気持ちよかった、これぞ自己満。


午後、よき絵の理解者である方の展示を観に銀座へ向かった。大学生の頃、親から借りてまで高いお金を払ってギャラリーに展示をしたのに1週間前から描き始めてしまい人に見せたもんじゃない作品を飾るはめになったため小さな声でしか宣伝をしなかった。(記憶の限りでは)


しかしながら、芳名帳をみるとその方の名前があってとても驚いたがや
直接に展示があることを伝えていないのに来てくれたのだった
その行為が私は心底感動したのを今でもずっと大切にしている、そういう記憶があるから 負けたくないのであった。何に負けたくないんだろう、分からないけど




いい人には成功してもらいたい。この人には成功してもらいたいなって思おえる人がいるっていいなと思おう。自分にはそう思おえる人がいるというのは尊敬できる人たちに囲まれてありがたいなと、と同時に頬を叩かれている気分だ







例え疎遠になったとしてもそう思っている自分がいて安心する
確かに感謝しているのは事実であり真実であったからだな




ここのところPCで更新する方が気分である



以上